こんにちは。咲音(@jiyuukosodate)です。
死産・流産後の妊娠は顕微授精、ホルモン補充周期にて妊娠。
妊娠期はずっと不安が絶えず、手放しに喜べる日はありませんでした。
仕事もしながらの妊娠だったので、職場でも横になりながら、なるべく安静に過ごしました。
妊娠初期には絨毛下出血のため性器出血に怯え、妊娠中期には異常がないか心配し、妊娠後期には逆子体操をしながら破水しないように安静に過ごしました。
出産は何があるかわからない。
赤ちゃんに必要なオムツなども、生まれるまで買うことができませんでした。
不安な妊娠期を過ごし、無事に出産し赤ちゃんを抱いた時、何とも言えない感情が込み上げてきました。
人生の中で忘れられない程感動した瞬間でした。
妊娠初期、胚盤胞移植後の症状とつわりの経過
ホルモン補充周期にて胚盤胞移植、陽性判定までの症状
37歳の時に2回目の採卵、顕微授精した卵を戻し妊娠。
胚盤胞移植後の症状の記録とつわりの経過は以下の通り。
BT2 右股関節がつるような感覚
BT7 妊娠検査薬で陽性
BT8 鮮血、トイレットペーパーに付く+500円玉ぐらいパンツが滲む
BT10 再び鮮血、BT8よりも出血は少ない
BT11 トイレットペーパー+パンツに少量の茶おり
BT12(妊娠4週3日) 判定日、陽性
陽性判定後、つわりの経過と食べられた物、家事は妊娠22週からできるように
妊娠5週からつわり開始、過去2回のつわりと比較すると比較的食べられました。
しかし、元の体重から-3kg。
仕事以外の時間の寝たきり生活は妊娠22週程度まで続きました。
つわりの経過をまとめると…
BT14(妊娠4週5日) 夜間鼻水が止まらなくなり、眠れない
BT21(妊娠5週3日) 朝、だるくて起き上がりにくい
BT24(妊娠5週6日) 胸が張ってくる、朝気持ち悪さが少しあるが、ご飯は食べられる
BT25(妊娠6週0日) 朝気持ち悪く、夜も気持ち悪さが出てくるが食欲はある
BT26(妊娠6週1日) 朝起き上がりにくく、食欲がなくなる
BT28(妊娠6週3日) だるさと気持ち悪さで食欲もなく、ついに家事が出来なくなる
BT32(妊娠7週0日)仕事中に気持ち悪くなり、冷や汗が出て倒れそうになる。
それから1週間の間に職場で気持ち悪くなることが増え、休みながら仕事をするようになりました。
そして、自宅ではほぼ寝たきりに。
妊娠中、食べられたのはサンドイッチやいくらのおにぎり、冷やし中華、レトルトのおかゆのみでした。
息子には納豆ばかり食べてもらい、保育園がない土日はDVDやYOU TUBEで過ごしてもらいました。
約1カ月間安静にしていたため、体力低下に拍車がかかり、つわりもあったため、家事ができるようになったのは妊娠22週ぐらいからでした。
絨毛下血腫の診断!妊娠12週までは安静に

そして妊娠9週3日の検診で絨毛下血腫との診断、3週後の検診まで座り仕事中心に。
血腫の大きさは直径約1㎝。
主治医の説明では、絨毛下出血とは約4人に1人にみられる症状で、その多くは妊娠10週後半には吸収され、無くなるとのこと。
絨毛下血腫とは何か、調べてみると…
経腟超音波検査で認められる胎囊と子宮筋層の間,言い換えれば脱落膜と絨毛膜との間の三日月型のhypoechoic ないしanechoic な像として認められる血腫のことをいう.
原因の詳細は不明であるが,絨毛が脱落膜に侵入する際,血管を傷害して血腫ができ,部分的に絨毛膜が剝離した病態と推測されている.
頻度は4~22 %と報告され,報告によりかなり相違がみられる.定義,診断時期,人種,使用した超音波装置によって異なる.
流早産のリスク因子として,(ⅰ)絨毛膜下血腫が消失しないこと,(ⅱ)絨毛膜羊膜炎を合併すること,(ⅲ)血腫が大きいこと,が挙げられる.
公益社団法人 日本産婦人科医会 より引用
流早産の危険がある…
妊娠37週で死産を経験しているため、不安で不安で、毎日なるべく安静にし、職場でもほぼ半日横にならせてもらいました。
絨毛下血腫による性器出血などはなく、無事に吸収されましたが、出血があれば即安静にしてもらうと主治医からも言われていました。
妊娠中期、気になる胎児の状態と性別
37歳と高齢であること、死産を37wで経験している事から、特に胎動を感じるまで毎回健診では心臓が動いているか、異常はないかなど不安ばかりが先行していました。
37歳での妊娠、医師からも出生前検査の紹介がありましたが、もし受けて検査が陽性であっても、中絶する勇気はなく、お断りしました。
死産を経験し、二度とあのような悲しみを味わいたくなかったからです。
主治医に伝えると、経過の中で何かあれば様子を診ていきましょうと死産経験者であることを理解した上で言葉をかけてくれました。
死産した原因は「臍帯の卵膜付着」、「前置血管」と想定され、妊娠中期には何度も出血していました。
主治医にも臍帯や胎盤の状態も確認してもらい、その後も特に指摘はありませんでした。
死産した子は女の子。
今回の性別も気になって仕方がありません。
早いと分かっていながらも妊娠15週の健診時に聞いてみたところ、「うーん、女の子っぽいけどまだわからないね」。
聞くのが早すぎたものの、女の子と聞いて期待は大きくなるばかり。
「無事であればどちらでもいい」、もちろん元気で産まれてくれればそれだけでいいものの、死産した子と同じ性別だと尚嬉しい。
期待を持ちつつ妊娠22週の健診で女の子と確定!!
とても嬉しく、このまま無事に産まれてくれるのを切に願いました。
妊娠中期、一般的に安定期と言われるのが妊娠20週、生存可能となるのが22週、それ以降もできる時には横になりながら過ごしていました。
妊娠後期、逆子が妊娠34週で治った!
お腹が大きくなり、どこからみても妊婦になっていく妊娠後期。
妊娠28週の健診時に「まだ逆子だね~、まだ十分治るけど次の健診でも治ってなかったら体操教えるね」と言われました。
逆子?!
過去の妊娠ではそんなこと言われたことはなかったので、この時点ではあまり重く考えていませんでした。
しかし妊娠30週での健診でまだ逆子。
しかも、胎盤の横に顔があり、首には1周臍の緒が巻き付いている状態。
逆子体操を教えてもらい、それから毎日頑張りました。
しかし、一向に動く気配がなく胎児はドンドン大きくなり、かがむと胎児の頭が脇腹を圧迫する感じが…
結局妊娠33週の健診でも治らず。
お腹の上から胎児を回転させる外回転術の説明もありましたが、死産経験者であること、胎盤の横に顔があること、臍の緒が首に巻き付いていること、約2%の確率で緊急帝王切開術になることを考慮するとあまり勧められないと主治医には言われました。
約2%とは産科では結構な確率であると。
しかし、死産した娘は帝王切開を行えば救えたはずだったこと、戸籍にも名前を残せなかったことを悔やんでいた私。
逆子のまま帝王切開術を行うのであれば、娘の心臓が動いているうちに外の世界に出してあげたかった …
娘は私の体を傷つけずに出てきてくれたので、経腟分娩で産みたい!
1週間後にエコーで確認し、外回転術を行うなら総合病院へ紹介するので考えてきてくださいとのこと。
ちょうど産休に入ったため、今まで安静にしていたので逆子体操をしつつ、掃除して体を動かしてみる事にしました。
すると妊娠34週0日に歩けなくなるほど股関節がつる感じが強くなる感覚があり、腹痛で3分ほど動けなくなりました。
その後も普通に座っているのが辛く、特に右のお尻を浮かせないと座れないぐらいの痛みが1日程続きました。
しかし、痛みの後、胎動を感じる位置が上になった気が?!
これ、回ったな!!と確信しました。
明らかに胎動を感じる位置が違うのです。
そして妊娠34週の診察時に頭位になっていることが確認でき、おまけに臍の緒も首から外れていました。
妊娠期通して不安いっぱい、赤ちゃんを抱いた時の感動は言葉にできない!!
妊娠中、ずーっと不安が消えなく、楽しいマタニティライフとはかけ離れた精神状態でした。
最終的に妊娠38週で計画分娩にて出産。
計画分娩にした理由は、スタッフが揃っている中で分娩を行うことで、もしもの時に赤ちゃんを救えるようにするためでした。
しかし、陣痛を誘発し、吸引分娩で出産するという、医療に医療を重ねた出産になってしまい、赤ちゃんには負担をかけてしまいました。
出産後、赤ちゃんを抱いた時には、言葉にできない気持ちが込み上げ、涙があふれてきました。
あの感動は一生忘れる事ができません。
殆どの妊婦が当たり前に出産するのが普通になっている中、死産後の妊娠は不安が強く付きまといます。
「楽しみだね」と声をかけられても、「無事に産まれてくれれば…」と素直になれませんでした。
人は経験したことしか分からないので、周囲には出産後の話よりも、「無事に産まれますように」と控えめに応援してもらえたら嬉しいなと思います。
死産経験者の妊娠経過が順調であることを願ってやみません。
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